読書②
前回の続き。
大学に入ってからも、最初の頃はやはり読書はほとんどしていなかった。
しかし、大学生というのは、高校までと違って、割と一人の時間というか、それまでにはなかった空白の時間が多くできた(授業の合間とか、電車で帰省するときの移動時間、など)。初めて親元から離れて生活する、ということで寂しさもあったのかもしれない。
そして、何よりも、僕は読書をかっこ悪いと思ってきた、と前の記事で書いたけれど、本当はすごく読みたかったのだ。小学生のころから。でも小学生の感覚というか変なプライドというか、読書は何か真面目な奴がするもんでかっこ悪いものだと思っていたし、本好きな親への反抗期的な要素もあったのかもしれない。もういろいろとぐちゃぐちゃになっていた。今なら、「素直に好きなの読めばいいじゃん」と当時の自分に簡単にアドバイスできるけれど、できなかったのだ。そして、それを二十歳手前までずっと引きずってしまった、というわけだ。
そんなこんなで数は少ないけれど少しづつ本を読むようになった。もうさすがにこの頃には読書がかっこ悪いとは思っていなかったけれど、それまでの読書体験というものが悲惨なものだから、今と比べればほとんど読んでないようなものだった。
その頃は、小説を主に読んでいたと思う。読書といえば小説だろう、と思っていたから、ベストセラー小説とかを少しずつ読んでいた。
そして、たまにではあるが書店にも行くようになった頃、
書店で『人生で大切なことは、すべて書店で買える』千田琢哉 を買い、
大学生協で入学した時にいつの間にか買わされていた、
『読書力』齋藤孝
の二冊を読んだ。
この二冊によって、「読書しよう」と思ったし、さらに「読書しないとまずい」とも思った。
その後、本をたくさん買って読むようになり、古本屋にも通うようになった。
そんな感じで読書を進めていたのだけれど、その頃買っていた本を思い出すと、確か世間ではいい本だといわれているけれど、自分が楽しんで買って読んでいるのかというもやもやしたものはあった。でもそれが読書ってもんなのかなあと思っていた。
そこで出会ったのが
『本は10冊同時に読め!』成毛眞
だった。この本で、完全に読書の考え方が変わってしまった。読書は堅苦しくて真面目な奴がするもんだという意味の分からない偏見をぶっ壊してくれた。読書はただ楽しいからする、それだけ、ということにやっと気づくことができた。
それからは本を買って読む時間は格段に増え、暇さえあれば読書している、という状態になった。